【旅】ブルーモスク・アヤソフィア・グランドバザール【トルコ8】

八日目はトルコ滞在最終日。
アンカラ急行の中で朝を迎えた。

アンカラ急行は、ルートこそ違うもののイスタンブル発着でオリエント急行を彷彿とさせる。
謎めいた殺人事件はもちろん起こらなかったが、片鱗を味わうことが出来て非常に楽しい寝台列車の旅だった。


 
 

スルタンアフメット・ジャーミィ

イスタンブルに到着し、まずはブルーモスクから。
「ブルーモスク」というのは通称で、正式名称はこのスルタンアフメット・ジャーミィとなる。
(以降はブルーモスクで統一)
この建物はオスマン帝国14代スルタン・アフメット1世が、1609年から7年の歳月をかけて建造したものだ。

女性は頭髪を隠すものがあると良い、とガイドさんから説明を受け、カッパドキアで買ったばかりの刺繍のスカーフを巻いて見学していたところ、20代半ばくらいの女性から嬉しそうに声をかけられた。
お互い母国語ではないカタコトの英語でのやりとりだったが、「スカーフ素敵、丁寧に拝んでくれて有難う」というような会話だったと思う。
ちなみに彼女は服装こそカジュアルだったものの、頭にはしっかりとスカーフが巻かれていた。
ほんの僅かな間でも信仰のある生活に触れることが出来たのは、私にとっての大きな経験だった。

「ブルーモスク」と呼ばれるようになった由来は、内部を彩るこのイズニックタイルの見事な青がきっかけらしい。
タイルは合計で20000枚以上用いられており、余りの繊細な美しさに時間を忘れて眺めてしまう。
これらを人の手で一枚一枚貼り合わせていったのだと思うと、溜め息しか出ない。
「世界で一番美しいモスク」という名に相応しい、神秘的な光景だ。


 
 

アヤソフィア

次は、私の中に物凄く大きなものを残したアヤソフィアだ。
元の名称である「ハギア・ソフィア」はギリシャ語で「聖なる叡智」を意味する。

この壮麗な建物は、凄まじい歴史を刻んでいる。
一番最初の建物は360年、首都コンスタンティノープル(現・イスタンブル)に献堂された。
その後、二度の叛乱・焼失を経て、現在の建物は537年に出来上がったものが基本となっている。
ビザンチン様式の最高傑作と言われ、金の煌めきも目映いこの場所は、総主教座として東ローマ帝国皇帝達の霊廟として教徒達に篤く信奉されていた。
だが1453年、オスマントルコにより包囲されたことにより状況は激変する。
キリスト教徒達は神に祈りを捧げ続けたが、最終的には殺されるか奴隷になるかという残酷な運命を辿った。
更に時のオスマントルコ皇帝メフメト2世は、ここをキリスト教の大聖堂ではなくイスラム教のモスクに作り替えよと命じたのだ。

アヤソフィアの天井や壁には、このようなキリスト教のモザイク画が幾つも残されている。
これらはメフメト2世がモスクへ改装する際に漆喰によって一度全て塗り潰されたものだが、近年の補修により再び姿を現した。
メフメト2世は侵略者であったが、このアヤソフィアの美しさに圧倒され、内部の改装は必要最低限に留めたという。
モザイク画ごと破壊することも出来たはずだが、彼は敢えて漆喰で隠すことを選んだのだ。
そこには、宗教を越えた確かな畏敬を感じる。

10年前の私は、このアヤソフィアのことをどう書いていいか分からなかった。
職業病なのか元来の性格なのか、私は旅先ですぐに物語を想像してしまう。
ハレムだったら初めて「幸運」を得る少女の胸の裡を思い描くし、エフェソスだったらどんな台詞でクレオパトラが暗殺を命じたのか考えてしまう。
なのでアヤソフィアに立って、私は様々なことを考えた。
神聖な場所が異教徒によって蹂躙され、異教の神を崇める場所に作り替えられる。
それがどんな絶望的なことかは想像に難くない。
だが侵略した側から見れば、向こうこそが自分達の神を冒涜する異教徒なのだ。

しかも厄介なことに、この場所の荘厳な美しさに感動する自分もいて「そんな惨い歴史が刻まれた場所を『美しい』などと感じていいのだろうか」と罪悪感まで混ざり始めた。
一週間トルコという国を旅してきて、宗教がぶつかり合った痕跡を沢山見ていたからだ。

時が流れ、その時に考えたことはいい具合に私の中に根付き、大事なものになった。
改めて写真を見直しても、やはりアヤソフィアは美しいと感じるし、大好きな建物だ。
素直にそう書けるようになった。
色々なことを考える切っ掛けをくれたトルコという国には、とても感謝している。


 
 

グランドバザール

迷路である。
だが素晴らしく楽しい。
一つのお店はそれ程大きくなく、通りに4000軒以上の色々な店がひしめいている。
ストール、ランプ、革製品、宝飾品、陶器、銀細工。
ツアーだと長くても三時間くらいしか滞在出来ないため、いつか一週間くらいイスタンブルに滞在し、ここでお宝探しをするのが野望の一つである。


 
 
昼食は名物・鯖サンド。
ボスポラス海峡付近の名物料理で、焼いたサバを玉葱と一緒にパンに挟んで、塩とレモン汁をかけたものだ。

ここで鯖サンドに目覚めてしまい、日本に戻ってからも時々作るようになった。
元の鯖の塩気にもよるが、レモン醤油、ガーリックマヨネーズあたりの味付けがおすすめだ。

一緒に映っているグラスの「EFES」はトルコで有名なビールで、飲み口が爽快で美味しい。
(「エフェス」はあの素晴らしい遺跡エフェソスのトルコ語読みなのだ)
日本のトルコ料理店にもこれが並んでいることが多く、今でも見かけると懐かしくなり飲んでしまう。


 
 

エジプシャンバザール

別名・スパイスマーケット。
その名の通り香辛料が多く売られており、グランドバザールと違い食べ物の取り扱いが多い。
お菓子や紅茶、香辛料、ナッツなどが所狭しと並んでいる。

真ん中の紅いものは柘榴のロクム。
甘酸っぱくてナッツぎっしりで美味しい。
トルコの名物菓子の一つだが、柘榴、ピスタチオ、コーヒー、薔薇などお店により味は様々。
旅行中に何度もロクムを口にしたが、個人的にはこのエジプシャンバザールで売られていたものが一番好みの味だった。
ガイドさんも「このお店のロクムは美味しいんですよ」というような勧め方だったので、興味のある方は是非あちこちで食べ比べてみて欲しい。

こちらもロクム。
本当に店によって形も味付けも様々なのだ。
ちなみに『ナルニア国物語』では「ターキッシュ・ディライト」という名で登場しているが、「ロクム」の方が響きが可愛いので私はこちらで呼んでいる。

トウモロコシの屋台。
日本と違って醤油がないので、基本的には味付けは塩だ。

そして無事に全てのトルコ観光を終え、イスタンブルから飛行機に乗り込んだ。
最後の一枚は、戻りの機内食で。

思い出の引き出しを開けながら、もう一度旅行記をまとめ直すのはとても楽しかった。
これを読んで少しでもトルコという国に興味を持っていただければ嬉しい。
 
 
 

トルコ旅行のおすすめアイテム

ここからはおまけのコーナー。
何はともあれトルコ旅行でおすすめしたいのはこれ!
携帯用クッションだ。

トルコ旅行はバス移動が主となる。
中には六時間弱バス移動という日もある。
だが二時間に一度はドライブイン休憩があり、記事内でも触れたように各地の名産を食べたり買ったりという楽しみがあるので、どうか「六時間」という数字に引かないで欲しい。
それでも。
長時間座るという事実は揺るぎなく、腰を労りたい方にはこのタイプのクッションを強くおすすめしておく。
観光時はバスの席にそのまま置いておけるので、それ程邪魔にはならない。
もちろん機内でも使える。

海外旅行のベストフレンド・アマノフーズ。
トルコ料理は美味しいのだが、旅程が二週間近くなり、その間は味噌や醤油とはお別れとなる。
普段の食生活と照らし合わせ、不安がある方はお守り代わりに。
私は味噌汁は持って行かなかったが、バス酔いに不安があったので梅干しタブレットを入れていった。

・ポケットティッシュ
しつこいようだがバス旅である。
ドライブインはお手洗い休憩も兼ねるが、ペーパーが切れていることもある。
これもお守り代わりに、少し多めに持っていくと安心。

[ 【旅】ブルーモスク・アヤソフィア・グランドバザール【トルコ8... ]TRIP, 2019/04/14 19:11