【旅】トプカプ宮殿・ハレム【トルコ1・2】

トルコについて

長い旅記事の最初に、まずトルコという国について軽く紹介しておこう。
この国は、ヨーロッパ、中央アジア、イスラム圏、アフリカと様々な地域に面しており、長い歴史の中でそれぞれの文化を取り込み繁栄してきた。
また、国土が広いため場所によって気候が大きく異なる。
イスタンブルから沿岸部は地中海気候で比較的温暖だが、高原地帯は内陸性気候で朝晩の寒暖差が非常に激しく、積雪もある。
地域により表情が全く異なる国なので、このことを頭の隅に入れておいて欲しい。


※GoogleMapより

 
 

ウズベキスタン航空でイスタンブルへ

初日、成田からウズベキスタン航空でまずはタシケントへ向かう。
ここでの機内食は二度、どちらも食べやすい味つけで美味しくいただいた。

そしてタシケントに到着。
ここからイスタンブル行きに乗り換えるのだが、深夜到着便だったこともあり、当時(2010年)はフライトまでの間、待合室から外に出ることや、写真撮影は厳禁。
全ての出入り口には銃を所持した兵士が立っており、物々しい雰囲気だった。

これがタシケント発イスタンブル行のフライトの朝食。
ここで出たチーズがとても好みの味で嬉しかったことを、今尚覚えている。

 
 

トプカプ宮殿

無事にイスタンブルに到着。
市内のレストランで昼食後、トプカプ宮殿に向かう。

この宮殿はメフメト二世がコンスタンティノープル(現・イスタンブル)を征服後、1465年頃~78年頃までに完成させたといわれる豪華絢爛な宮殿だ。
ただし一つの巨大な宮というわけでなく、小さな建物と部屋、多くの庭園が連なる形となっている。

これは「挨拶の門」。
お目通りを叶えるため、ここから先はどんな者でも必ず馬から下りなければならなかったという。

宮殿の壁や天井を彩るのが、この見事なイズニックタイルだ。
イズニック(イズニク)とは地名で、アナトリア半島北西部に位置する。
良質な粘土が産出されたことから陶磁器の生産が始まり、交流のあったモンゴルや中国の意匠・技術に影響を受けながらターコイズの青、珊瑚赤、トマト赤などという鮮やかで美しい着彩へと発展していった。

トプカプ宮殿の宝物庫は写真撮影が一切禁止されているが、大粒のエメラルドが目映いトプカプの宝剣、86カラットのスプーンダイヤモンド、色とりどりの宝石がちりばめられた黄金の揺り籠など、煌びやかなコレクションは壮観である。
また驚くべきことに、日本の有田焼、刀、鎧なども非常に良い保存状態で展示されている。
飛行機もなかったあの時代にそれらがはるばる海を渡り、宝物としてスルタンに献上され、それが今でもああして宮殿の宝物庫に並んでいるのだと思うと、不思議な感動と郷愁を覚える。

ちなみにそれらの一部は現在開催中の『トルコ至宝展』にて初めて里帰りしている。
興味のある方は是非足を運んでみて欲しい。
※終了

 
 

ハレム

そんなトプカプ宮の一角に、女達の生活の場であり戦いの場でもあったこのハレムがある。
日本の大奥や中国の後宮など「権力者と女の園」は歴史上、様々な形で存在しているが、このハレムの大きな特徴は「女性達が皆、奴隷」ということだろう。

「ハレム」という名は「禁じられた」というアラビア語が語源である。
侵略により連れ去られた少女達は奴隷市に並び、黒人の宦官の目に留まればまず教育用の宮に上がることになる。
そこで礼儀作法、刺繍、ダンス、音楽、様々な教育を受け、準備が調うとこのトプカプ宮のハレムに移されるのだ。

ハレムの女達は、最も多い時期には1000人を越えたという。
そこから「幸運」に恵まれれば徐々に階級が上がり、最高位は自分の産んだ息子がスルタン(皇帝)に即位する「ヴァリデ・スルタン(母后)」である。
だがこの時代、権力争いは熾烈を極めた。
運良く身籠もったとしても、そこでスルタンの交代が起これば「前スルタンの子種を宿す邪魔者」になってしまう。
そのような場合、母子もろとも処刑されるという悲劇も起こった。

ここが「皇帝の間」である。
もし寵愛を得てスルタンとなる子を産んでも、身分は「奴隷」のままだ。
正式な婚姻関係を結ぶことはなく、あくまでも「スルタンに仕える女奴隷」なのである。

だが、人が集まれば物語が紡がれる。
そもそも身寄りのない奴隷の少女達を集めたのは、血縁者と組んで権力を掌握することを防ぐためと言われているが、ハレム後期には、そんな仕来りを自力でねじ伏せるような女性達も現れる。
恐らく、最も有名かと思われるヒュッレムについてご紹介しよう。

ヒュッレム・ハセキ・スルタン。
彼女は現在のウクライナ地方の正教会司祭の娘であったが、捕らえられてハレムに上がった。
本名はアレクサンドラ、「ヒュッレム」という名は「場を明るくする幸福な者」という意味らしい。
寵愛を得た理由が思い浮かぶ名だと思う。
すぐにスレイマン一世に見初められ、当時の「スルタンとの間には一度しか男児を産めない」という慣習を破り、6人もの子をもうけた。
本来は一度男児を出産するとスルタンから遠ざけられてしまうのだが、彼女に惚れ込んだスレイマンがハレムの仕来りを無視してまで側に置いたということである。
そしてスレイマンとの間に正式な婚姻関係を結び、「奴隷」から晴れて「皇后」という地位を得た女性なのだ。
彼女は皇子達が幼いうちから我が子を次期スルタンにするため策略を巡らせ、やがてそれがハレムから政治を動かす「女人天下」の切っ掛けとなった。

だが悲しいかな、そんな彼女の息子達は「幸福」とは言い難い運命を辿る。
産んだ5名の男児のうち2名は疫病で死亡、1名は突然の死、最後に残った兄弟2名で激しい王位争いを繰り広げた後、敗れた方が処刑という凄まじさである。
この煌びやかで美しい檻は、そんな苛烈な歴史をずっと凝視めてきたのだ。


 
 

今日の猫

猫はトルコでとても愛されている。
イスラム教の預言者ムハンマドが好んだというのが切っ掛けらしいが、とにかく何処でも愛されまくっている。
ツアーのバスに乗り遅れそうになるくらい可愛いのだ。
旅の途中に出会ったそんな猫達もご紹介していく。

こちらはトプカプ宮殿の庭にて。


 
 

ここからは街角の風景を。
まずは「スィミット」と呼ばれる胡麻パン売り。
街中にはこういったワゴンがよく出ていて、他には焼き栗、焼きとうもろこし、菓子類などがある。

美味しそうな匂いに抗えず立ち寄ったケバブ屋。

スーパーの風景。

これは全部オリーブ。

イスタンブル内のホテルに戻り、機内泊含む一日目~二日目無事終了。

三日目イリオス編に続く。

[ 【旅】トプカプ宮殿・ハレム【トルコ1・2】 ]TRIP, 2019/04/08 22:27