文字と言葉。

涼しい、むしろ肌寒いくらいです。
昨日の暑さが嘘のよう。
誕生日に気温が30℃を越えたというのは、覚えている限り初めてな気がします。

昨日は沢山の拍手をどうも有難うございました!
昨日に限り、コメントがついていないものもお祝いとして受け取らせていただきます。
また、ツイッターの方でも声をかけて下さった方々に改めてお礼申し上げます。
私が返せるお礼は少しでも良い作品を書くことだと思うので、これからも精進してまいります。
 
 
この夏あちこち出かけていたために、博物館の展示に足を運ぶのがどれも閉会間際になってしまいました。
会期中にはご紹介出来なかったのですが、そのうちの一つが非常に興味深かったので、記事にまとめたいと思います。

2019年5/29から9/23まで、駒込の東洋文庫ミュージアム『漢字展~4000年の旅』が催されていました。
古代中国で誕生した「漢字」がいかにして広がり、日本に定着していったのか。
特に面白かったのはこれです。

このような形で言葉が生み出される流れ、楽しいと思いませんか……!?
当然といえば当然ですが、今、私達が使っている熟語は誰かが作り出したもの。
この場合、『ターヘル・アナトミア』を翻訳した杉田玄白、前野良沢らが「神経」「軟骨」「動脈」などの医学用語を、そして同じく蘭学者である宇田川榕菴(ようあん)が「酸素」「水素」「窒素」「硝酸」などの科学用語を生み出したといわれているそうです。
(ちなみに榕菴は一番最初に「珈琲」という表記を用いた方でもあります)
ということはそれ以前、平安や戦国時代には「神経」「軟骨」などの言葉は存在しない。

この「時代により、まだ存在しなかったはずの言葉」は、時代ものを書く時に立ちはだかる壁なのですが、結論から先に言うと、私は余り制限はかけずに現代の基準で使うことが殆どです。
一応、時と場合により控えめにはしますけれども。
日本語の中に現存する熟語の、全ての成り立ちを完璧に把握して書くのは難しい、と思うことが一つ。
そして代わりの表現を試みたとしても、かえって分かりにくくなる可能性が高い、と思うことが一つ。
最後の一つは「熟語を多く使って堅苦しく喋りそうなキャラ」「その反対に、柔らかく喋るキャラ」というキャラ性の方が大事かなーという考えです。
これはあくまでも私個人の考えであって、誰かに表現を強要するものではありませんし、是非を問うものでないことを強くお伝えしてきます。
ゲームや小説、漫画などという媒体や、作品そのものによる表現の差もあると思いますし。

制限をかけないとはいえ、このような言葉を生み出して下さった偉大な先達には感謝と尊敬しかありません。
「神経」という言葉を用いずに、「神経」というものを的確に表現するのはとても難しいですから。
とはいえ言葉の意味などを調べるのは面白くて大好きなので、これからも色々資料を探していきたいです。
ただし、単純に誤用をして壁に頭を打ち付けたくなったことも一度や二度ではないので、そのことも正直に告白しておきます。

遠い遠い昔は、縄などに結び目を作ったり、骨に刻んで記録していたんですよね。
紙そのものが貴重品の時代もありましたし。
そういう文字の広まりの歴史を見ると、こんなふうにブログに好きなだけ文字を書ける時代に生まれて良かった、と思うわけです。

文字ものといえばやはりこれ、展示を見た瞬間に心の中で「須藤……!」と叫んでしまいましたよ。
私が大好きな漫画の一つです。
 
 
東洋文庫を出た後は、すぐ側の六義園へ。
こちらの枝垂れ桜が大好き過ぎて、春しか来たことがなかったので立ち寄ってみました。
六義園に来た時は、池の側の茶屋でお抹茶をいただくことにしています。

濃い緑はやはりいいものだ。
このような美しい景色を眺めながら、のんびり飲めます。
 
 
この後、竹橋に出て東京国立近代美術館で本日まで開催中の高畑勲展を見たのですけれども、少し時間が経った今でもまだ感想が上手く言葉になりません。
執念というか凄絶というか、携わった作品の資料が色々並んでいて、そのどれもびっしり文字やコンテが書き込まれていて、圧倒されました。
高畑氏の作品を、改めて観直そうと思います。

[ 文字と言葉。 ]diary, 2019/10/06 17:20