三日目は奇跡の朝食から始まる。
(主に私と、作品の内容を知っている方向けの局地的奇跡ではあるのだが)
ゲストハウスりゅうかくに決めたのは、立地や宿の雰囲気もさることながら朝食にいたく心惹かれたからだ。
基本は素泊まり、+料金で幾つかある朝食メニューの中からつけることが可能。
私は絶対に「トロピカル朝食」と決めていた。
宿泊してみたところ、その期待を裏切らない素敵なものだったので、一つ一つ紹介していく。
まずはたっぷりの野菜サラダとヨーグルト。
サラダにお手製ドレッシングをかけると、赤と金色がぱっと映える。
この赤い色はローゼル(ハイビスカスサブダリファ)で、酸味が利いていてとても美味しい。
ハイビスカスティーの原料といえば、その味が想像出来ると思う。
ヨーグルトの下にはもっちり甘い島バナナが敷き詰められていて、更に大粒のブルーベリー。
そこに、じゅうじゅうと音を立てながらスキレットがやってくる。
分厚いベーコンやブロッコリー、しめじなどが入ったオムレツだ。
そしてフルーツの盛り合わせ。
見て欲しい、この柘榴とパッションフルーツを。
そう、柘榴とパッションフルーツである。
南の島ではパッションフルーツはよく出てくるので、多分何処かで食べられるだろうとは思っていた。
しかし柘榴まで盛られている。
旅に出た先で、作中のモチーフに使った果物二種が美しく盛りつけられて出てくるこの幸福感。
キャラ達のことを思い出しながら、ゆっくり味わって食べた。
ちなみにスターフルーツの奥に見えている真っ赤な実が、ドレッシングにも使われていたローゼル。
もちろん生でも食べられる、酸っぱいけれど。
この他にコーヒーとパンを好きなだけ。
一日に始まりがこんな素敵な朝食だったら、それだけで元気に頑張れる。
チェックアウトすると、おじいとおばあが見送りに出て下さった。
短い間だったけれど色々話して「ブログで熱烈にすすめます」と伝えて車に乗り込んだ。
ずっと手を振っっていた優しいお二人にまた会いたい。
奥武島は、派手な観光スポットはない。
でも透明な海と美味しい魚と揚げたての天ぷら、そして可愛い猫がいる。
人生の中で半日くらい、こんな穏やかな場所で好きなもののことを考える時間があってもいい。
久高島へ渡るには安座真港からフェリーに乗るのだが、一日で那覇BT~斎場御嶽~島を回ろうとすると接続の関係でかなり慌ただしい。
のんびり癒やされたい方は奥武島での一泊を組み込んでみては如何だろうか。
ゲストハウスりゅうかくまで迎えに来てくれたのは、昨日も乗ったおでかけなんじい。
また運転手さんとお喋りしながら安座真港に向かう。
そこからフェリーに乗り、約15分で久高島へ着く。
いよいよ、神の島だ。
久高島
・久高島公式サイト 久高のシマ時間
・NPO法人 久高島振興会
昨日も書いたように、この久高島の浜は琉球開闢の神アマミキヨが降り立ったという言い伝えが残っており、島内には神事のための施設、聖域などもある。
この島からは何も持ち出してはならないとされ、破ると災いが降り懸かる……らしい。
斎場御嶽でお参りしてから久高島へ、というのが習わしと知り、それにのっとったわけである。
またこの久高島は「私有地」がないことで知られている。
「地割り」という制度により住人には土地が与えられ、島を去る際には返却する。
こう書くとちょっと怖い印象を抱くかも知れないが、目の覚めるような青い海に囲まれた素敵な島だ。
まずは港近くでレンタサイクルを借りる。
タクシーはないので観光客の足は基本自転車。
コインロッカーもないが、大きな荷物は自転車を借りたところで預かってもらえる。
真っ先に向かったのは島の東端にあるハビャーン。
この浜こそが、アマミキヨが降り立ったとされる場所なのだ。
私の拙い写真では透明度がお伝え出来ていないかも知れないが、ずっと眺めていたくなる美しい海。
斎場御嶽、そして久高島と独特の雰囲気を持つため、寄せては返す波を眺めていると「ここに神が降り立っても不思議はないな」という気分になってくる。
次に向かったのは伊敷浜(イシキハマ)。
この時も曇りで海の色が今一つだったのが心残り。
その昔、島には海の貝と木の実しかなかったため、一組の夫婦が神に食物豊穣と子孫繁栄を願った。
すると海の彼方から黄金の壺が流れてきた。
だが夫婦がその壺を取ろうとするも、何故か手が届かず流されてしまう。
やがて夫婦は思い立ち、ヤグル川で沐浴をし、白衣に着替えて浜で待っていると、今度はその壺が夫婦の手に流れ着いた。
中には麦、粟など七種の種子が入っていた。
これが伊敷浜の言い伝えである。
その夫婦が禊ぎをしたヤグル川、現在の名称ヤグルカーはこちら。
(「カー」というのは「井泉」の意味で、島内には様々な●●カーがある)
神女の禊ぎにも使われた神聖な井戸でもある。
現在は補修工事中で立ち入り禁止となっているため、近くの別のカーの写真など。
こちらの家が久高島で一番古い大里家(ウプラトゥ)。
琉球王国の第一尚氏最後の王である尚徳王が島を訪れ、この家の娘である神女クンチャサヌルと恋仲になった。
王は彼女を深く愛しここで長く暮らしたが、首里城を疎かにしたために王朝が崩壊してしまった。
尚徳王は海に身を投げ、クンチャサヌルは庭のガジュマルで首を吊ったため死後、神女から降格となった。
この言い伝えは政治的な部分に関して若干信頼性に欠ける部分もあるようだが、比嘉康雄氏の書籍『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』によればクンチャサヌルは名高いシャーマンであったらしく、王が彼女の言葉を求め島を訪れたのは間違いないとされている。
昨日の斎場御嶽とあわせ、当時の琉球王国の祭政一致を物語る興味深いエピソードだ。
再び海沿いの道に出ると古い入り口のようなものが見えたので、近寄ってみる。
古いカーらしく、下の方を覗くと崩れていた。
マップによると古いカーは崩落の危険があるため、補修整備済みの場所以外は下りないで欲しいとのこと。
久高島郵便局。
「久高島 宿泊」で検索すると郵便局がサジェストされるのは間違いではない。
本当に泊まれるのだ。
久高島は来訪者に対して宿が少ない印象なので、受け容れるようになったのかも知れない。
現在は久高島宿泊交流館なども出来たが、宿の予約は早めがいいと思う。
久高島にもやはり石敢當がある。
それに加え、見たいと思っていた水字貝(スイジガイ)の災難除けとも遭遇した。
貝の突起が「水」という漢字を連想させるため、火災除け、魔除けとして飾られるらしい。
海岸に流れ着いた珊瑚や貝殻。
どことなく骨を思い起こさせる。
実際、浜に流れ着いたものは珊瑚の骸ともいえるし、主な成分が炭酸カルシウムなので人工骨の原料になったりもするらしい。
もちろん持ち帰りは厳禁。
自転車を漕いで、緑繁る道を入ってゆく。
この先には島の最高聖域であるフボー御嶽と呼ばれる祭祀の場がある。
何枚も注意書きが出ているようにここは「何人たりとも立ち入り禁止」。
ここに書かれている「イザイホー」というのが久高島の祭祀で最も有名なものだ。
12年ごとの午の年に、島で産まれ育った30歳から41歳の女性が神女に就任するという儀式で、四日間の本祭り・更に事前の守護霊に対する報告などがある。
沖縄で「シャーマン」と聞くと「ユタ」を思い出す方が多いかも知れない。
「ユタ」は神懸かり的な偶発によるものが殆どらしいが、「ノロ(神女・祝女」)は島の血筋を重んじる。
この久高島で産まれ育ち、子を産み母となった女性はノロとなり、死後は海の彼方にあるニラーハラーに行くが、そこで神々の承認を受けて神霊となり、島を護るために御嶽へ戻ってくるといわれている。
久高島の祭祀に関してはとても語りきれないので、興味のある方は先程も触れた比嘉氏の著書を読んでみて欲しい。
久高島宿泊交流館の一階は資料展示コーナーになっており、イザイホーなどの貴重な写真を見ることが出来るので来島の際には立ち寄ることをおすすめする。
自転車をお借りしたパーラーさばにでぜんざい。
沖縄では黒糖で甘く炊いた豆の上にかき氷を盛ったものを「ぜんざい」と呼ぶ。
黒蜜シロップもたっぷりで、一日歩き回った身体に優しい甘さが染み込む。
夜は、宿の方と星を見に行った。
民家のある区域を抜けると、その先は闇しかない。
街灯などもないので星明かり月明かりを頼りに、波の音を手繰るようにして歩いてゆく。
浜に出ると物凄い星空だった。
人が創り出す光がないため、空一面に広がる星の煌めきがくっきり見える。
私の写真技術では撮影は無理であろうと最初から諦め、心に刻むことにした。
満月の海で泳ぐ話を伺った。
景色を想像するだけでその場で一本書けそうなくらい美しい話で、私の心のネタ帳特等席に刻んだ。
浜から島の方が上がってきて、夜釣りの成果を見せていただいた。
クーラーボックスが開けられた瞬間、思わず「すごい!」と声をあげてしまった。
保冷剤代わりに入っているのが2リットルのコカコーラペットボトルなので、いかに大きいか分かるだろう。
さばかれてお刺身になるらしい。
帰りはまた闇の中を歩いてゆく。
これだけ静かで深い闇なら、確かに魔物マジムンと出くわすかも知れない。
今、生きて島から戻りこれを書いているので、幸い私は股をくぐられることはなかったのだろう。
その夜は満天の星と波の音を思い出しながら眠りに就いた。
四日目のガンガラーの谷編へ続く。